MESSAGE

新潟県阿賀野市(旧笹神村)に300年継承され続けてきた竹籠があります。小林ミドリ竹籠店は、竹細工作家・小林ミドリが独自にデザインして編み上げた、用と美を兼ね備えた竹籠等を作っています。小林ミドリ竹籠店は、これからも伝統的な技術と新しい発想から生まれる製品を作り続け伝統技術の継承と現代社会にマッチした新しいモノづくりを発信してまいります。

GALLERY

DESIGN

  • 小林ミドリ竹籠店は、竹細工作家・小林ミドリが独自にデザインして編み上げた、用と美を兼ね備えた竹籠等を作っています。

  • 梅野 聡/SATOSHI UMENO

    さまざまな企業の商品をデザインしています。インテリア、プロダクト、ウェブ、グラフィックなど東京を拠点に国内外で活動中。

  • 近藤 潤/JUN KONDO
    ロンドンの建築事務所勤務を経て、2015年より新潟市でデザイン事務所スイカノタネを起業した、一級建築士でデザイナー。

  • 小林ミドリ竹籠店の姉妹店。五頭山周辺から採集した竹や笹で籠を制作。

STORY

今板の竹籠づくりの歴史

  五頭山麓の今板に300年継承されてきた竹籠があります。山が近く、田んぼが少なかった今板では、村じゅうが籠づくりをして生計を立てていました。お寺の和尚さんでも学校の先生でも作りました。現金収入の道として竹籠づくりは有利であったので、今板だけでなく、女堂・出湯・折居などでも作られていました。戦後はアルミニウムやプラスチック製品が普及して、竹籠の需要は大きく落ち込むようになりました。そこにとどめを刺したのが昭和42年(1967年)の水害でした。五頭山が荒れて、仁竹の群生地へ行く道がなくなった上に仁竹そのものが激減しました。さらに、水害後は復旧工事などで現金収入の道ができ、手間の割には収入の少ない竹籠づくりをする人は減りました。昔ながらの竹籠を作っている人は数人しかいなくなりました。

竹籠づくりの特色と工程

  今板の竹籠は2つの特色があります。一つ目は六ツ目(穴が六角形)編みであることと、縁が隙間なくぴっちりと巻かれているところです。また、竹籠づくりは分業制で行われていました。材料の切り出しや竹籠の枠付けなどの力仕事は男性が、竹ひごづくりや編む作業は女性が、籠の平編みなど力のいらない作業は年寄りと子供が担い、ひとつの竹籠を家族全員で作っていました。作り方は、保存してある竹を必要な分だけ水に浸けて、竹の皮と身をナタではがして竹ひごを作ります。同じ幅で同じ厚みに剥がさなければなりません。材料の断面がかまぼこ型になっていることで、目がよく詰まり丈夫な竹籠になります。剥ぎ終えたら竹ひごを束ねて手のひらで転がします。よく揉むことで竹ひごが柔らかくなり、角も落ちるので、この工程は欠かせません。

越後笹神の竹細工作家 小林ミドリ

  大正3年12月10日に、阿賀野市今板地区(旧笹神村)において誕生し、7歳のころより祖父母(生粋の竹籠職人)から教えを受けて竹籠づくりを始めます。「こうだったらもっと使いやすいかも」とひと工夫した籠を祖母に褒められたのが嬉しく、竹籠づくりが楽しくなったと語ります。20歳のころには父母をしのぐ技術を身に着け、屈指の竹籠職人と認められるまでに至りました。昭和10年4月、結婚し神戸市に移り住んだため10年ほど竹細工からは遠ざかりましたが、昭和20年郷里に疎開し竹籠づくりを再開しました。しかし、プラスチック製品と輸入品に押されて竹籠の需要は落ち、その上、夫は病身で子供が4人いました。辞めようかどうしようか迷いましたが、竹籠が好きだったので、どうやったら好きな竹籠で食っていけるか?を考えました。

実用品から民芸品へ

  得意で好きな竹籠で食べていくにはどうすればいいか?を考えたときに“美しさ”も必要だと思い、実用品から民芸品に転換することにしました。形にこだわらない実用品に比べ、民芸品は難しく、転換してしばらくは苦労しましたが、竹籠の良さをもっと世の中に知ってもらいたいという想いと、使えて美しい「用と美」の思想で竹籠づくりに励みました。そして、信念は開花し、買い物籠・果物籠・茶びつ・花器とたくさんの名品が生まれました。

越後笹神の竹細工作家 小林ミドリ(1914-2014)
日本民芸協団最優秀賞 3年連続受賞(1978-1980)、新潟県知事賞受賞、黄綬褒章受章

竹久夢二の考え実現

  ひょんな縁から、画家・竹久夢二が描いた「林檎」という絵をもとに、籠を作りました。その作品が第二十五回日本民芸公募展で見事、特別賞に輝きました。名付けて、夢二籠。

  昭和5年ころ竹久夢二は出湯温泉の石水亭の主人に「ワラビカゴを作ってほしい」という内容の手紙を籠のスケッチとともに出しています。群馬県の伊香保温泉で山菜を入れて売るための籠を作るよう石水亭に頼んだようです。夢二の理想であった「手による産業」が形になったのは夢二没後でしたが、この夢二籠は大変なブームを呼び、生産が間に合わないほど注文が殺到しました。

母の背中を追い続ける姉妹

  阿賀野市今板地区(旧笹神村)は良質な竹に恵まれ、昔から竹籠づくりが盛んだった地域。数々の受賞・受章歴を持つ小林ミドリの作業場は今板温泉の近くにあります。現在も長女の曽我美代子と次女の山本幸子が母である小林ミドリの技術を継承し竹籠を編み続けています。2人とも普段は新潟市の自宅で編み、竹の伐採時期になるとこの作業場を訪れます。

  30年、40年前にミドリさんが作った作品を「壊れたから直してほしい」と持ち込む人は今でもいます。「ありがたいことです。でも、私たちには直せないもの・作れないものもたくさんあります。母のやっていたものをできるようになりたいですね」と語ります。

5種類の竹からなる籠

  小林ミドリ竹籠店の籠は5種類の竹から作られています。鈴竹、仁竹、出湯笹、孟宗竹、黒竹の5種類です。編む箇所によって、素材を使い分けます。まっすぐでしなやかな鈴竹は籠本体を、柔らかく丈夫な仁竹は縁巻きと持ち手に、粘っこい出湯笹は高台を取り付けるために、固く分厚い孟宗竹は枠と力竹に、黒色をした黒竹は籠のアクセントに使います。

  この辺の竹は長さが短いので、大きなものを編むときは岩手の鈴竹を使用します。鈴竹は太平洋側にしか自生しないため仕入れていますが、その他の竹は阿賀野市で採取します。材料採取時期は種類によって異なり、それぞれの時期に1年分の竹を採ります。

経年変化による美

  作りたての籠は白さの中にやや青っぽさのあるさわやかな色をしていますが、使っていると徐々に色が変わってきます。画像は、右が作りたて、左が30年経った籠です。使っていると少しずつ艶が出て、色も飴色に変わっていくのです。飾っておくのではなく、「使う」というのがポイントです。籠と過ごした時間が長ければ長いほど、美しい籠に育ちます。

  40年使ってきた籠を見せていただいたことがあります。それは母から受け継いだ籠だそうで、今でも母と同じように台所で使い活躍していると話します。親から子へ引き継がれる暮らしの道具。籠を使うと、きっと一緒に過ごした時間も思い出されるのではないでしょうか。

材料枯死による生産休止

  2017年10月、鈴竹の産地である岩手から「開花によって枯死した」と連絡を受けました。あまり知られていませんが竹には寿命があり、数十年~数百年に一度花が咲き枯れてしまいます。数年経つとまた生えてくるのですが、その間は鈴竹でつくる籠は製造を休止せざるを得ません。

  鈴竹は太平洋側にしか自生しないので、40年ほど前から岩手県二戸市から仕入れていました。枯死したと連絡を受けて他の産地でも探しましたが、岩手県で採れる長さの鈴竹は見当たらず、また他の産地も同じように開花が始まり、断念しました。現在、県内にて代用となりそうな竹を採取し、試作をしております。鈴竹が復活することを祈っています。

姉妹店の紹介

  籠本体を編む鈴竹が寿命により枯死したため、ミドリさん考案の竹籠の製造休止を余儀なくされました。そこで、これまで使ってきた4種類の材料と県内で採取したエチゴメダケと篠竹、東南アジアから取り寄せた籐(ラタン)を使用した新商品の開発を始めることに決めました。鈴竹が復活するまでなにも作らないのではなくて、ある材料を使って、ミドリさんの「用と美」の思想で新しいモノづくりをすることにしたのです。

  かつて必需品であった竹籠は今では贅沢品に変わりました。日々の暮らしの中でふとした瞬間に心が豊かになる、そういった竹籠を作ってまいる所存です。

COMPANY

  • 横山工業株式会社

    〒959-1957
    新潟県阿賀野市横山210-1

    TEL:0250-62-3122

    e-Mail:info(@)kobayashimidori-takekago.jp

    営業時間:10:00〜17:00(土日祝日休)

    ※見学等の申し込みは事前にお電話ください

    (籠担当者が不在の場合がございます)